修業詳細

yuga2005-08-03


修行の概要は身延七面山という山にお題目を唱えながら登り、そのうえにあるお寺に泊まり、朝早く起きて日の出を見るというものでした。
まず初日は夜の九時にJR芦屋駅付近から夜行バスに乗り込みました。するといきなりみんなでお経を唱え始めました。「(’‘)わぁ」と思いましたが僕も見よう見真似でおばあちゃんから渡されていたお経を取り出し数珠を手に巻き付けて真似をしました。そもそも僕は仏教とか法華教とか日蓮宗とか全く知識も興味もなく、学校柄もありどちらかといえばキリスト教のほうがよく知っていたし親しみがあったので本来僕は仏教の修行に行くべき人間ではなかったような気もしますがとにかくおばあちゃんに「行こう」と頼まれて(このまま死なれたらお葬式で後悔することになるな…)と思って部活を休んでいくことに決めました。まぁ結構な山を登るわけだから体力トレーニングくらいにはなるだろうと思って今年一回くらいいいかと思いました。が、そのあと修行期間中に卓球部の花火大会が行われたりK-1があったり思ったよりも失うものが多かったです。
そんなこんなでバスの中で夜を過ごしてやって来たのは山梨県甲府盆地でした。早朝五時に起こされていよいよお山に登る準備です。夜行バスといっても普通の観光バスで寝心地は悪くて足元も狭くせっかく寝かかっても二時間ごとにパーキングでトイレ休憩があったのでうまく眠ることが出来なかったので登る前から少しふらふらしていました。いざ登り始めると以外と楽なものでした。考えてみればおばちゃんやおじちゃんも登るし何も走って登るわけではないので体力的にはたいしたことはなかったです。最高齢では78歳のおじいさんもいました。でも「南妙法連華経」と唱えなければならないしゆっくりと歩くので精神的にしんどかったです。ふだん卓球場でだらだら汗をかいている割には今回は風があり涼しくて湿度も低く気が繁っていて日も照っておらず殆どといっていいほど汗をかきませんでした。登っている最中は南妙法連華経とずっと連呼しているので会話とかがなかったのが今思えば残念だった気がします。とはいっても僕はビビりのチキりの人見知りですが、キリスト教でもそうですがこういう宗教の人はいい人が多いのでかなり話しやすいです。やはりおじさんおばさんことに平日だったためおばさんが多かったですが赤ちゃんくらいの子もおんぶされて登っていたり幼稚園くらいの子でも泣き言を言わずに登っていたので偉いと思いました。僕と同じ19才の人が三人いたり同年代の人も何人かいたりしました。山梨へ来ていると行っても関西の兵庫大阪間の人ばかりだったので御影工業高や県伊丹高出身の人や武庫女の人やら姫路に住んでる人やら近所の人ばかりでした。朝の九時から6時間くらいかけて登り就寝前の頃には普通に喋ったりも出来るようになっていました。多少脚の裏の筋肉が張っていた程度で体力的には全然問題無しでした。
キリスト教は毎週日曜に礼拝があったりするのですが仏教は各自が家の仏壇で毎日お経をあげていてたまにこうやって修業があったり若者同士でキャンプをしたりするというそういう感じらしいのでお互いによく知らない人もいたみたいでそういうことで、ふだんお経をあげたこともない僕がいてもあまり違和感というか(あっ、普段仏教に全然関わってない人や!)的な目で見られることがなかったのではないかと思います。ただおばあちゃんの知り合いの何人かの人は事情を知っているわけでその人は仏教はどういうものかを少し教えてくれました。まさに知識や作法や信仰の心構えは現地調達です。ただ話を聞いていると特に若い人は毎日熱心にお仏壇に向かって(この携帯では「お仏壇」はまず「汚物団」と変換されます。ひど過ぎます。)お経をあげている人も少なく、僕と同じでおばあちゃんに誘われてついてきたというパターンが多いみたいです。ちゃらちゃらした人やパツ金の人も平気でいました。
山頂についてからお経を読んだり話を聞いたりもしたのですが当然その間はずっと畳に座っていなければなりません。足がシビれます。ある一定時間以上正座をし続けていると完全に足の感覚が麻痺します。痛覚も触覚も全てです。よく歯医者にいって麻酔をしてもらうと「麻酔が切れるまでは食事をしないでください」といわれます。それは感覚の無くなった唇を間違えて食べてしまうことがあるかららしいです。足が痺れているときもそれとおなじで足が曲がってはいけない方向に曲がっても痛みでは気がつくことが出来ないので目で見て確認しました。捻挫をしたりしたらアホです。山の上での晩御飯と朝ごはんは精進料理が出てきました。ヒジキと高野豆腐と煮物とお漬けもんとみそ汁だけのサイクルでした。あと御飯魚とか豆腐が無かったです。明らかにタンパク質とビタミンが不足している気がします。
朝は3:45に起きました。早過ぎます。といっても晩は七時に寝たのですがそれでも眠いす。何でそんなに早く起きたかというとそれはご来迎と呼ばれる朝日を見るためです。富士見台と呼ばれる岡の上から朝日を見ると春分秋分はちょうど富士山の真ん中から太陽が登るという設計になっているらしいです。朝起きて外に出るとまだ星がきれいに輝いていました。2000mくらいある高い山なのでかなりたくさんの星が見え、ミルキーウェイまで見えました。寝ぼけ眼で富士見台に登ると霧が厚くて富士山が見えませんでした。これは風が霧を飛ばしてくれないと朝日を拝むことは出来ないぞという状況でしたが、30分くらいずっと突っ立っていて空が明るくなり始めてそろそろ足が痛くて座りたくなったときに風が吹いて来てちょうどうまいグワイに霧が晴れていきました。日が出る瞬間や富士山は見れなかったですが日が出てすぐの新しい太陽が雲海をあかく染めていてとてもきれいでした。医学的には目に悪いので直射日光を直に見てはいけないのですがずっと見てしまいました。その後、まだ御飯も食べておらず眠たい中で立ったままで一番長いお経を読んだのでしんど過ぎました。
山から降りてくるのは登るよりも遥かに簡単なことでした。おおよそ半分の時間で降りてくることが出来ました。ただ昨日の分の疲労であるとか下りのほうが足を痛めやすいとかで歩けなくなったおばさんが何人かいました。そんな人は若者が担いだり肩を借りたりしてなんとか帰ってきました。僕はまだ筋肉痛にも何もなってなかったのでおばさんに肩を貸しました。すごく助かったといっていたのでよかったです。昼前には降り着いていました。長い道のりだったのでとても気持ち良かったです。去年は大雨が降ったということだったので今回天候に恵まれ、さりとて暑すぎずいいコンディションで何事もなく帰って来れました。靴ずれなんかも心配されましたが全く大丈夫でした。
その日は山の麓の旅館に泊まりました。大阪から来たという気のいいおっちゃんが僕と同い年のワタナベ君と僕に酒屋でたくさんおごってくれました。記憶がトんでいてよく覚えてませんがたぶんジュースをおごってもらったような気がします。店の人がいないのに「Asahi(多分十六茶かなんかだと思う)がいいかキリン(レモン)がいいか?」などと聞いてきてその場で飲み始めたので驚きました。「なあにメモと代金を置いておけばいいってことよ」といっていました。よく見たら店のあちこちにメモとお金が置いてありました。どうやらそういうことがざらに行われているらしいです。店と客の信頼のある田舎ならではです。大阪でこんなことをしたら大変です。あとの記憶はありません。書くのが面倒ですから。
今日は何もなくてバスで帰るだけです。それなら昨日夜行で帰ったらよかったのでは、一日無駄な気がしますがあまり考えないことにします。あせってもなんにもなりません。心を落ち着けてそこにある時間をゆっくり受け止めることです。そんなことをこの三泊四日の中で一つ学んだ気がします。